書き手にもいろいろ思うところはあると思うが、読み手にもリズムというものがある・・・と思う。

私は酷評を書くことはしません。
ですが、いろいろ思うところがあるのでちょっと書いてみます。


作家は一生懸命作品を書いてますし、出版社はそれを売ろうとがんばっています。
しかし、それでも売れる作品はほんの一握り。
スマッシュヒットでさえ連発しなければ、出版社も作家も大変です。
作家も出版者もいろいろ言いたいことや書きたいことはあるだろうけど、それは読者も同じ。
読者は金を払って購入するわけですから、買った本がなんか自分と合わなかったら、いろいろ言いたくもなります。


今回ですがタイトルにもある『読み手にもリズムがある・・・と思う』ということについてと言うことです。
さて読書感想をやっている方々、そしてブログはやってないがラノベなどの読書をたくさんされる方々。
いわゆる書き手ではないいわゆる読み手・・・つまりは読者です。
この読者にだっていわゆるリズムというものがあるかと思います。


このリズムですが、物語を読むに当たり、物語全体をただ流し読みするわけではなくそれ相応のリズム感を持って読んでいるのではないかと。
『そんなこと感じたことが無かったなぁ』と思う人もちょっと考えてみてください。
ということで、まずはこちらをちょっと抜粋します。

 こいつは俺以外に頼める男なんていないだろうしな。
 断れなかったよ。けっ、どーせ俺ゃあシスコンだぜ。妹が海外に行っちゃうなんてイヤだし、好きな仕事がしづらくなったら、かわいそうだしよ。
 嫌々渋々「はいよ」と請け負うしかなかったのさ。
「−−という訳で、桐乃ちゃんと別れて頂戴」
「フッ、お断りします」
 俺は美咲さんに向かって、不適に言い放った。
「50万円でどう?」
「まじすか」
 がたっと身を乗り出す俺。
 やべーっ! そんだけありゃオマエ・・・・・・らぶドールだって買えちゃ、

さて、読んですぐピンとくると思いますが、今大ブレイク中の「俺の妹がこんなに可愛い訳がない」の最新刊7巻からの抜粋です。
ではここから下をちょっと読んでみてください。

 たとえ兄としも、妹にとっては身近な男はこの俺しかいなかったのだろう。
 だから特に断る理由はない。
 決してシスコンとかそういった理由からではない。
 兄としては、至って当然のことではないだろうか?
 妹のことを思えば、この案件快諾したと記憶している。

 
 そして、今この場にはその妹と、妹をスカウトしようとしている元トップモデルで、現在は一流モデルを多数抱える会社の藤真社長が座っている。
 さすがに元トップモデルだけあって、現役を引退したとえ、そのスタイルと美貌は健在だ。
 ・・・というより、今でもモデルができるのではないだろうか?
「−−という訳で、桐乃ちゃんと別れて頂戴」
 藤真社長が単刀直入に俺に言ってきた。
 その瞳はまっすぐ俺に向けられている 
「フッ、お断りします」
 不適に言い放ったつもりだが、俺の心臓はかなり鼓動が激しい。
 実を言うと彼女に見つめられたのは、このときだけではない。
 妹を連れて最初に会った時から、ことあるごとに俺を見つめて来る。
 だから鼓動が激しいのだが、元トップモデルの彼女に見つめられてドキドキしているのではない。
 偽装彼氏であるのが見破られるのが怖くて、鼓動が激しくなっているのだ。
 明らかに、彼氏(ただし、偽装だが)の品定めをしているのは間違いない。
「50万円でどう?」
 藤真社長は突然こんなことを言い出した。
 どうやら、品定めの結果は金で何とかなると判断したか?
 残念だが、そんなことで折れるような俺じゃ・・・
「まじすか」  
 どうやら、彼女の品定めは間違いないようだ。
 さすがはこの業界で生き抜いてきた、その道では凄腕の藤真社長。
 50万円といえば、一介の高校生にとっては大金だ。
 秋○原のラム●ラで売っている、▲ぶドールを買っても、おつりが来るな。

こちらはceeda流アレンジwwとでもしておきましょうか。
この両者をちょっと比較してみみて感じることは何でしょう。
1.全体的に長い
内容的にはceeda流が詳細を書いていると思うのですが、元の文章に対して思いっきり長いですよね?
2.台詞が少ない?
このceeda流、台詞部分に関しては元の文章と全く同じですが、全体に対して台詞が少なく感じられませんか?
3.やたら説明的
とても説明的な部分が多いと思いませんか?


というよりceeda流は読んでみて、とてもくたびれたというかww、眠気を誘うとかww、退屈感を味わうとかww、そんな感じがすると思うんですよ。
もし、「俺の妹がこんなに可愛い訳がない」の原作が、1巻からずっとこんな調子で書かれていたら、皆さんどう思います?
きっとこの作品ここまでヒットしなかったと思います。
ところでこのceeda流、実はモデルがあるのです。

シンクロニシティ・ゼロ2 (HJ文庫)

シンクロニシティ・ゼロ2 (HJ文庫)

2010年11月1日に刊行されたHJ文庫の作品です。
こちらが感想になります。

シンクロニシティ・ゼロ2

これでシンクロニシティ・ゼロ2巻に違和感を感じたということを書き、さらにいずれその違和感の正体を書くとここで言ってます。
なぜ違和感を感じたのか、私なりの考えceeda流がその答えということです。
ただし、最初に言っておきますが、この作品はceeda流の内容がそのまま書いてある訳ではありません。
この作品はきちんとした商業作品であり、作家も、出版社も世に出しても大丈夫と判断して出されているわけです。
ここに書いたceeda流文章は、この作品を読んだ後に感じた違和感を端的に表すために私が書いたものです。
そしてceeda流はなんと言ってもド素人が書いたオバカな作品ですから、このシンクロニシティゼロよりは遙かにレベルが格下の格下です。
決して『この作品が全くだめだった』とかそういうことを言いたいのではありません。


1.部分的に固執した長い文章展開
さて、全体的にシーンが長くなるとやっぱり億劫になりがちです。
しかしながら、書かなければいけないことはきちんと書かないといけないと思いますが、適度な長さというのはやっぱり大事なのではないでしょうか?
ある部分に固執した場合、長い文章ほど避けられたり、読み流しされたりしてしまうと思います。
これが読み手のリズム感を崩す第1歩ではないかと。
2.台詞が少ないのは、パートによっては感情移入に変化が出る
元々「俺の妹がこんなに可愛い訳がない」というのは日常をコミカルに描いたコメディ作品です。
対してシンクロニシティというのは、戦闘シーンとその世界観がキモの作品です。
両者はその設定やコンセプトに違いがありすぎます。
しかし、日常シーンとなると変わります。
そのシーンでキャラを読者にイメージとして植え付けることに成功しないと、その作品はシリーズ通していい方向に向かわないかと。
そのイメージを植え付けるのは台詞回しなのではないかと思います。
日常シーンでは、文章に対して全体的に多めに入れて、会話をとことん成立させることに固執してもいいのかなと思います。
これがうまくいってないと、読み手のリズム感を崩す第2歩になるのではないかと思います。
3.説明的にしないといけないところと、どうでもいいところはきちんと分ける
これは設定が重要になる作品ほど多くみられる傾向です。
やはりその世界観や設定が生きてこその作品は、ここをキモにしないとやっていけません。
ですが、全部が全部そうでなければいけないかと言われると、これもまた違うのではないかと思います。
小説単行本1巻、最初から最後まで説明的にされると、さすがに困ります。
特に最初である程度世界観を植え付けて、後は小出しに出したり。
そして日常シーンではとにかく説明的な部分も避けることも大事かなと。
『ここまで説明するのか!』と思われるくらい説明が入りまくると、読み手はリズムを崩して疲れてしまうと思います。
これが第3歩目ですかね。


ここまで書きましたが、読み手はテンポを大事にする人も多少ながらいるのではないかと思います。
ところで、今回は2作品を例に挙げましたが、決して言い悪いということではありません。
最近はレーベルも増えて、作品自体も数が多くなったラノベです。
読者もいろいろなタイプがいますので、個々に思うところは違います。
それぞれがそれぞれのリズム感があって、それとまさにシンクロしたとき、最高の作品に出会ったと思います。



最後ですが、文章が長いとか、説明的だとか、書いていますが、そもそもこの日記がまさにそうですねwwww
ここまで読んだ方々、お疲れ様でした。


今後も面白い作品に出会えることを







それよりも、早くドイツ人からの受けた仕事片付けないとなぁ・・・・・積み本が・・・