長野電鉄屋代線廃止決定

2011年2月2日屋代線廃止が決定したようです。


地元のメディアによれば、地元で存続可否を検討する協議会が、屋代線存続を断念。
代替バスのルートを含めた運行に関する案件に今後移行するとのこと。
これを受けて長野電鉄側も、具体的な代替バスルートが決定した後に廃止手続きに踏み切るというもの。
屋代線は元は河東線と呼ばれた長野電鉄始祖的な路線。
木島線(こちらも通称だったか?)廃止の際に再編して正式に屋代線という名称になったとか聞いています。
まぁ、路線形態からして苦戦していたとは思いますが、長野電鉄のお手上げから5年くらいですか。
良く持ちこたえたなというのが正直な感想です。
年間50億円の赤字路線ということで、長野電鉄側からするとこれで少しは・・・
一度だけ乗ったことがあります。
須坂寄りでは学生の下校時間だったためか、結構盛況だったのですが、屋代寄りの方では確かに。
あと、この河東線沿いの国道を数回走ったこともあります。
そうすると見えてくる実態が・・・。
自家用車の量はかなりすごかったですね。
しかし、並走する国道403号を走る車は県道34号、そして58号に流れていきます。
特に58号の道路は『なにあれ?』と思います。
とても県道とは思えない何とも立派な道路。
そこを走る車の量が403号を走る車とは比較にならないほど半端じゃなかった。
この2つの県道は千曲川を越えて県都長野市へ向かいますが、県都への流動はこれだけあるんですね。
正直あの流動では屋代線の命運は決まっていたと言っても過言ではないかと思いました。
せめて、消えゆく屋代線に想いを忍ばせながら、もう一度くらいは乗りにに行ってみるのもいいかもしれません。