交通の流れに乗れず、取り残された長野電鉄屋代線

さて、先日は長野電鉄屋代線が廃止になるというNEWSが流れましたが、今の日本では地方都市の公共交通網は壊滅的な状況です。
その原因は自家用車の普及にあると言われていますが、実際のところ本当にそれだけ?と聞かれてもなんと言えません。
ということで、まずは輸送と輸送の方法について考えてみたいと思います。
交通と一口に言っても3種類ある
交通と何気なく言いますが、そもそも、交通輸送概念というのは3種類あります。
1.面輸送、面流動
これが究極の流動と交通の流れであり、交通網の最終目標です。
一つの範囲内を縦横無尽に動き回るような輸送系、あるいはそれを担う交通機関が面輸送に当たります。
世の中にこの面輸送を担える交通機関はタクシーぐらいです。


2.線輸送、線流動
ある地点を基準にそこに向かう人の流れができる流動や輸送の形態です。
鉄道は軌条で走りますし、路線バスも基本きめられた道路上を走ります。
その流れは線に倣って沿うことです。


3.点輸送、点流動
これは近代になって出てきた交通輸送です。
ある地点とある地点とをピンポイントで結ぶのが点輸送、点流動です。
おもに新幹線や飛行機。
物流で言えは船便もこれに当たります。
拠点間同士の結びなので、間は一切無視します。


交通には3種類あることが分かりましたが、これを図をもって説明します。
まず、基本一つの町があったと仮定します。
仮に江戸末期から明治時代と仮定しましょう。
この図で赤い矢印が人の流れとします。
線の太さはその流動を行う人や物が多いほど太くなるということです。



見てお分かりかと思いますが、赤丸がポイントとして存在します。
これは町の中心部を表しています。
町の中心に向かう流動は結構太い線になっていることがわかりますし、直線的になっていることもお分かりかと思います。



明治になると鉄道が走り始めます。
ということで、この流動に目を付けた鉄道事業者は線に沿うように鉄道を敷設します。
青い線が鉄道輸送のラインです。
この鉄道の線が赤いラインにぴったり重なっていますが、これが流動と鉄道輸送のマッチングに当たります。
これがぴったり合うほど、鉄道利用者が増えます。
この青い線に乗っている白丸がいわゆる駅に当たる部分です。



やがて、航空機や高速鉄道、高速道路が発達すると、今度は遠距離移動も行うようになり、離れた別の町へ移動することもあります。
青い太い線が点輸送のラインです。
黄色い丸が空港然り、大きな拠点駅になります。


このように交通というのは、そこに流動があることに意味があり、その流動とマッチしていることが重要です。


では先の長野電鉄屋代線はどうだったのかというと

赤丸が県都長野。
赤いのが自家用車の流動で、青いのが鉄道。
赤い線でひときわ太いのが二本ありますが、これは国道18号と19号で、青い線で太いのがしなの鉄道〜JR篠ノ井線長野電鉄長野線
この中で細い青線がありますが、これが屋代線です。
屋代線千曲川東岸地域の拠点を結ぶ鉄道線として開業しました。
開業時は当然ながら車はほとんどなく、人の移動は鉄道か歩く事になるわけです。
しかし、車が一般的になると政府も道路をどんどん作るようになり長野県も当然ながら整備します。
この千曲川東岸地域も、県都長野に向う道路がどんどん整備された事から、県都長野へは直接迎える道路交通のほうが有利なわけです。


図の黄色く丸で囲った地域が屋代線の利用主力地域となりますが、正直流動分布と一致していません。
前回403号を通ったときも途中で長野方面に向う車の多い事多い事。
国道18号なんかは長野市に近づくにつれて、車の交通量が多くなって行きました。
県内流動はとても多く、県都長野市は昨今の中心部空洞化でも比較的活況に満ちているとは思います。
屋代線には途中松代町*1という主要な地域もあるのですが、自家用車が発達した現在はそっちに移ってしまうのも仕方ない。
道路が整備されていく度に県都への流れは自家用車に移っていってしまったのですね。
図を見れば分かるとおり、屋代船沿線の人が鉄道だけを使って長野に出ようとすると、須坂まで行くか屋代まで行きしなの鉄道⇒JRという流れをとらないといけません。
正直大回りです。
この流動変化には勝てず、屋代線は先細りしてしまったということでしょう。
もし松代あたりから千曲川を越えて県都長野まで路線を盛っていたら、屋代線の運命も少しは変わったかもしれません。

*1:現在は長野市編入