ライトノベルにおける鉄道表現の考察 第3弾

第1弾はだいぶ前にやり、第2弾も結構前にしました。
今回は第3弾です。

第1弾 ラノベにおける鉄道関連の表現の考察
第2段 鉄バカ日記における、一般人とテツの認識の差

ということで今回取り上げる作品はこれ

2011年5月15日刊行、舞阪洸先生の『真サムライガード』です。


今回は清海を無事守り切った愛香と毬藻の休暇ということで箱根に行きます。
その時に使った交通機関小田急ロマンスカーをモデルにしています。
まぁ、これはいいのですが、小田原から箱根登山鉄道に入る際に、舞阪氏の作品にしてはやたらマニアックな文章が書いてありました。
ということで、考察部分に関して抜粋します。

少しだけ余談
日本の鉄道は基本的に1435mmの標準軌で敷かれている。
小田急も例外ではない。
一方、箱根登山鉄道は山岳部を登る電車で、標準軌の確保が難しかったために狭軌で敷かれている。
小田急の直通電車が乗り入れるために線路が3本敷かれているのは、我々の知っている小田原←→箱根湯本間と同様である。

え〜〜〜なんといいましょうか。
率直に申し上げますと正直マニアックすぎますwww
さて、今回は軌道幅と線路についてのことです。
その前に一つ書いておきますが、この日記シリーズの基本コンセプトについてです。

・マニア向けに解説しない。あくまでも詳しくない人向け。
・鉄道マニアから見て、この作品の表現はどういうレベルのものか

ということですので、この表現が間違っているとか正しいとかは関係ありません。
ましてや、この部分がどう理解できようとも、この『真サムライガード』という作品自身がどうこうということではありません。
あくまでもその部分だけに突出してみた場合についてです。
では考察に入ります。


日本の鉄道は基本的に1435mmの標準軌で敷かれている。
まずは線路の幅について。
線路の幅というのはこの部分を差します。
絵を見てください。

ここが1435mmということです。
標準軌と呼ばれるだけあって、ほぼ世界標準で使われている幅で、世界各国の鉄道のうち約60%がこの線路幅です。
これより狭い線路幅を『狭軌(きょうき)』広い線路幅を『広軌(こうき)』と呼びます。
なぜこの線路幅が標準になったかは、長くなるので省略します。



小田急も例外ではない。
この表現、ひとつ前の『日本の鉄道は基本的に1435mmの標準軌で敷かれている。』にかかることは読めば分かるかと思います。
ではなぜ『小田急も例外ではない』のか?
これは1872年まで話がさかのぼります。
この年には日本最初の旅客鉄道『新橋-横浜』が開業しますが、この鉄道が大成功をおさめます。
この成功で『鉄道は儲かる』→日本全国鉄道建設ブームという図式が起こります。
そして、鉄道にもう一つ特徴があることをつかんだのが、当時日本国内で発言力が強まりつつあった軍部。
軍部は鉄道の持つ大量輸送と高速輸送の効率のよさに目を付け、富国強兵策の一環で日本国内鉄道網の整備を考えます。
しかし、資金はどうしようもないので考えたのが、この鉄道建設ブームにのっかることでした。
鉄道を私設で作らせ、有効そうな路線は後に国が買収する策に出たのです。
軍部は鉄道院と太いパイプを持つようになり、こんなことを暗黙の了解で徹底させます。

・線路の幅を官鉄と合わせること
・官鉄と並行する路線を作らないこと

これを徹底させます。
小田急の建設経緯は省きますが、軍部が主導を握っていた戦前までは日本の鉄道はこれを守ります。
だから小田急も例外ではないのです。
ところで、日本最初の鉄道は実は狭軌である1067mmで開業しています。
したがって、実際に存在する小田急は官鉄と同じ1067mmです。



一方、箱根登山鉄道は山岳部を登る電車で、標準軌の確保が難しかったために狭軌で敷かれている。
実際の箱根登山鉄道は1435mmの標準軌で敷設されています。
なので、単純に考えればこの表記は間違いです。
さて、箱根登山鉄道は元をたどると、先に書いた東海道線に深い関係があります。
明治22年東海道線はとうとう神戸まで全通します。
しかし、東海道線と江戸5街道の東海道は大きな違いがあり、箱根を超えるルートが違っていたのです。
鉄道ができるまでの東海道は、箱根の関所を超え三島に抜けますが、当時の土木技術では鉄道が山を登ったりすることや、長いトンネル技術が難しいこともあって、東海道線は箱根を超えないことになりました。
東海道線が選んだルートは御殿場を回っていくルートに決定します。
こちらの方が箱根を超えるより緩やかに超えられますので、このルートに決定したのですが、このルートは現在の御殿場線に当たります。
御殿場線国府津から御殿場を通り沼津に抜けるルートですが、これにびっくりしたのは小田原と箱根の人たち。
小田原は箱根越え手前の東海道の宿場、そして箱根湯治客の前線。
さらには北条氏が築き上げた、戦国時代から主要都市として機能してきたこの地域の中心都市です。
すでに街の規模はかなり大きなものでしたが、その小田原が東海道線のルートから外れることになってしまいます。
これに危機感を持った地元は小田原馬車鉄道を立ち上げ、国府津から小田原市内を通り箱根湯本まで結ぶ馬車鉄道を建設します。
後にこれは電化され馬車→路面電車に変更されます。
一方、箱根湯本-強羅は同社の鉄道線として開業します。
おそらく、当時は登山鉄道としての技術があまりないので、使用する車両は外国の登山技術を応用せざるを得なかったと思います。
そのお手本としたのはスイス製と噂されていて、このスイス製が1435mmだったのではないかと推測しています。
そのため線路幅は標準軌である1435mになったものとおもいます。
路面電車は1372mmで開業しましたが、関東大震災の時に1435mmに変更され登山電車との直通が始まったのも、車両の小型化がうまくいったためでしょう。



小田急の直通電車が乗り入れるために線路が3本敷かれているのは、
戦後のGHQの分離により箱根登山鉄道小田急グループとして再スタートを切ります。*1
戦後間もない昭和25年、小田急傘下となった箱根登山鉄道に早速小田急電車の直通が始まります。
もちろん知名度の高い箱根温泉への都心からの湯治客目当てですが、先に書いたとおりの生い立ちで小田急箱根登山鉄道は線路の幅が違います。
なので、ここは3本の線路を敷設して対応することになります。

このような線路配置で

箱根登山の電車はこのような組み合わせ

小田急はこうなります。


我々の知っている小田原←→箱根湯本間と同様である。
ということで、小田原-箱根湯本の間の三線の状況はこうなっていますが、最後に一つ。
現在この三線が敷設されている区間は小田原-箱根湯本ではありません。
2006年に小田原-箱根湯本は全列車小田急の車両で運用することになっています。
そのため、箱根登山電車は小田原-箱根湯本を走りませんので、三線軌にする必要が無くなったのです。
したがって現在は撤去されており、小田急の幅の線路しかありません。
しかしながら、箱根登山電車の車庫は入生田駅にありますので、そこまでの回送電車は通る必要がありますので、現在は箱根湯本-入生田だけが三線軌になっています。
これはさすがの舞阪先生も知らなかったか?



結論

小田急標準軌狭軌
箱根登山鉄道狭軌標準軌

このように間逆の理論を打ち立て、最後に『我々の知っている小田原←→箱根湯本間と同様である』と書いたことが何を意味するのか。
この"我々"というのは読み手・・・すなわち読者のことで、つまりは現実世界のことだと思います。
ということは、


サムライガードの世界は、我々が知っている日本という国とはちょっと違う歴史を歩んできた、異世界


これを鉄道の線路幅をわざと逆に打ち立て、より強調したということではないでしょうか?


新橋-横浜の鉄道が1067mmではなく1435mmを採用していれば、小田急も1435mmになった可能性は否定できないし、箱根登山鉄道も技術があれば、より小型化にするため1067mmにしたかもしれない。
歴史にifはないが、ifを考えて想像してどんな世界なんだろうということを考えてみるのも悪くなないと思う。
それを線路の幅を使って説明する舞阪先生は、ちょっと大胆でマニアックだなぁと思う表現でした。


ただし、舞阪先生は鉄道マニアではないですね。
作風や、文章構成からして鉄道マニアたる独特の匂いがしませんので。
おそらくは相当な下調べをした可能性があるのと、元々好奇心旺盛な方なのでしょうか?
きっと3本の線路が敷設されていることに興味を持って調べて、それを作品に活かしたと考えています。


*1:戦前に小田急とともに東急参加に入っている