駅名変更に伴う費用って意外と莫大。駅名と実態がそぐわないことは結構あるんですよ。

「四条畷」→「四條畷」に数億円? JR、依然変更されず(産経新聞)

駅名の漢字一文字変えるだけで億単位
これは大阪の四條畷市で抱える問題。
大阪のJR西日本の駅名は『四条畷』で他の表記も四条畷が多かったが、順次『条』⇒『條』に変わっていった。
しかしながら、駅名だけは『四条畷』のまま。
実はJR規模の会社となると、駅名の表示板を変えるだけでは済まなない。
隣の駅はもちろん大阪近郊区間の運賃表を全部『四条畷』⇒『四條畷』に変更する対応が必要。
さらにはコンピューターの発券システムにまで及ぶ。
その額や数億単位。
ただでさえ、電車の塗装を単純塗装にして、数億の経費削減をしなきゃいけないようなJR西日本には、駅名変更のためにこんな金払う余力はないし、その気もないだろう。
自治体側もこれは知っていて愕然とするしかない。


一体この先どうなるか、行政とJRの対応が見ものです。
ただし、四条畷駅四條畷市内にはないんですよねw
四条畷駅自体は大東市にあるんですよ。
これに対するツッコミはいいのか?
この立地に関するのが一番の実態にそぐわない事項だと思うww
四條畷市に関係ない市外の駅名をこれまた大東市とは関係ない四條畷市側がやってるわけです。
何とも奇妙な関係だ。


今回の事例は四条畷駅の例だが、世の中には駅名と実態にそぐわない駅というのは意外とあります。
そんな駅をいくつか紹介します。


大泉学園駅(東京都練馬区西武鉄道池袋線)


この駅の近くに大泉学園という学園は存在しない。
実は区画整理の際に大泉学園として、学校研究機関の誘致を中心にした学園都市にするはずだったのだが、結局その肝心の学園*1が誘致できずに大泉学園町として町名だけ残った。


現在の大泉学園駅は意外と有名な駅である。
この近くにはあの東映動画(現東映)のスタジオがあり、現在も東映制作アニメのアフレコが行われている。
なので、西武鉄道が良く東映とのコラボ*2をするのはこのためである。
なお、大泉学園西武鉄道で乗り換えの無い駅としては1番乗降客が多い駅になっている。
大泉学園より乗降客が多い駅では、かならず他路線との乗り換え駅しかない。
西武鉄道でもTOP10に入り*3池袋線では池袋⇒所沢⇒大泉学園という順番で乗降客が多い。
隣の急行停車駅石神井公園よりも乗降が多く、新宿線の乗降を含んでいる所沢駅よりも多い可能性が高い。
よって西武池袋線の途中駅で一番の乗降客がある駅なのです。
しかし、大泉学園には各駅停車と実質各駅停車区間となっている準急しか停車しない。
あとは通勤時間帯に走る『通勤』がつく列車のみ。
この停車パターンも、なんだかんだいって実態に沿ってないのかもww



学芸大学駅都立大学駅(東京都目黒区:東急東横線)


こちらも学園がらみの駅名。
先の大泉学園と違って、こちらは誘致に成功して大学はありました
しかしながら、大学が地方に移転した後も、駅名を変更しなかったのです。
この2駅は学園の代わりに合わせて、駅名が何度も変更になってます。
都立大学駅の駅名変更の変遷

柿の木坂⇒府立高等前⇒府立高等駅⇒都立高校⇒都立大学

学芸大学変更の変遷

碑文谷⇒青山師範⇒第一師範⇒学芸大

どちらも学校の名称の変更で変えてます。
さて、今現在学芸大学は小金井市都立大学は八王子市に移転後首都大学に再編されて、閉学になることが決まっている。
しかし、移転する際になぜ変更しなかったのかは不明で、実際に今後も変えるつもりはなみたいだ。
なお、実際には東急側から駅名変更に関する要望調査をとったのだが、『変更しなくてもいい』という意見が意外と多かったため、敢えて変更していない
さらには町名こそ鷹番(学芸大学駅の所在地)中根(都立大学駅の所在地)だが、地元民はすっかり地元の地名を言わなくなり、『学芸大』『都立大』として通称している。
学芸大は隣の碑文谷、都立大は柿の木坂あたりまで地名の通称として生きている。
元となった大学はすでにないのに、珍しい事例である。
しかも、都立大学は大学自体がこの世からなくなるので、これはきわめてまれな例かもしれません。

余談だが、大泉学園が誘致しようとした学園の候補のうちの一つが、この青山師範(学芸大学)だった。
もし、大泉学園が誘致に成功していたら、今頃地名や駅名、そして大学名称はどうなっていただろう。
歴史にifはないというけど、考えてみるとおもいろいかも。



秋葉原駅(東京都千代田区JR東日本、首都圏新都市鉄道、東京メトロ)


意外な名前が出てきました。
何が実態とあってないのかというと、この駅がある地は千代田区外神田です。
つまり場所と駅名が一致しない例です。
そもそも、秋葉原一帯は外神田、佐久間町、花岡町などの地域名称で、いわゆる神田界隈の一角です。
東京には神田という駅がありますが、実は神田という地名はないんですね。
良く考えるとこれも実態と駅名がそぐわない例です。
東京には神田○○町という地名がいっぱいあり、古本の街神保町も神田神保町なので、神田の一角です。
その神田の一角に位置する通称が秋葉原
地名が外神田ということからもわかるように、実は郊外にあたる地域です。


佐久間町のあたりには佐久間と呼ばれる材木問屋がありましたが、しょっちゅう火災を起こしていました。
昔から『火事と喧嘩は江戸の華』というように、江戸は火事が多かったのですね。
そんな火事の多い江戸庶民の信仰は、火防(ひぶせ)の神として昔から信仰のある秋葉山秋葉大権現
本山は静岡県浜松市にありますが、その社が今の秋葉原駅の近くにありました。*4
当時の秋葉原は野原だったので、

秋葉の神様の原っぱ⇒秋葉原(あきばはら)

という地域名称になったといわれています。
さて時代は進んで明治に入りますと、ここに日本鉄道(現在のJR東北線)が開通し、秋葉の原っぱのど真ん中に『秋葉原』駅を建設し開業します。
その時、鉄道官僚が『あきはばら』とろくに地元民との交流もせず誤って駅名をつけてしまったことが、秋葉原の始まりとなります。
以降この地はこの駅名『あきはばら』と読む地へと変わっていきます。
何とも数奇な出来事ですね。
読み方を間違えて駅名を付けたが、それが地名になってしまったというのは結構あります。
それからお隣の台東区秋葉原という地名がありますが、これは昭和になってから秋葉原にちなんで改称された地名ですので、秋葉原に影響された地名ですね。
これが秋葉原の元になったわけではありません。


西武鉄道新桜台駅(東京都練馬区:西武有楽町)


この駅はちょっと変わったことがありました。
この駅がある西武有楽町線は、練馬から小竹向原に行く2.6kmの路線。
現在は飯能方面から北電車が地下鉄に向かう、あるいはその逆パターン。
しかし、この駅は開業時とても異色な駅でした。
それは

西武鉄道の駅なのに西武鉄道の車両が一本も来ない

これはいったいどういうことなのか。


新桜台駅は1970年に練馬-小竹向原の敷設免許を取得し、西武有楽町線の建設を開始した西武の工事からスタートする。
工事はすでに発展した都市部の中で行われるため、非常に困難を極めた。
さらには桜台、練馬付近の西武池袋線高架複々線事業もあったため、練馬駅は高架駅になることになっていた。
逆に小竹向原は地下駅、新桜台も地下駅となるが、隣の練馬まで1.4kmしかない。
わずかこの短距離で、地下の新桜台から高架駅の練馬までものすごい急勾配の工事をしないといけなくなった。
これが難工事が予想されたが、さらに悪いことに肝心の池袋線の高架複々線化遅れてしまい、西武有楽町線は練馬-新桜台の開業を遅らせ、先行で小竹向原-新桜台を開業させることになりました。
そして開業したのが1983年のことです。
しかし、ここで問題が起きました。
西武鉄道の路線なのに、西武の路線とつながっていないのです。
そこで、西武鉄道は当時の帝都高速度交通営団(今の東京メトロ)に代行をお願いすることになりました。
車両1本を西武に貸し出す形で、営団と直通運転を開始。
しかし、西武が用意した車両は借りて西武鉄道籍になったとはいえ、あくまでも車両は営団7000系です。
マニアならともかく、一般人が西武鉄道籍、営団籍なんか分かるはずがありません。
こうして、新桜台駅には西武鉄道の駅でありながら、西武鉄道の車両が一本も来ないという世にも珍しい駅になりました。
実際に来るのは営団の車両ばかりなので、新桜台駅営団の駅と勘違いする人が圧倒的に多かったようです。
しかし、西武鉄道の駅なので、小竹向原-新桜台1.2kmは別料金で跳ね上がるのですね。
この状況が改善されたのは、暫定ながら練馬まで開通した1994年。
このときに西武鉄道が用意した6000系に切り替えました。
足かけでなんと11年間も、西武の車両が全く来ない西武鉄道の駅を続けたわけです。
そりゃ間違える人も出てくるわ。
ちなみに現在も、勘違いする人は多いようです。


さて、今回はこんなところですが、まだまだ実態がそぐわない駅というのは結構ありますよ。
地名と合わない駅名、路線名称と合わない駅名、近隣の名所や史跡、施設名称と合わない駅名とかいろいろあります。
中には四条畷駅みたいに変えてほしいという懇願もあります。


駅名といえば、ついこの間九州新幹線博多-新八代が開業するので、正式駅名が発表されてましたが、あれも駅名でいろいろあったようですね。


駅名あれば、そこに一つの歴史あり。

*1:付属の高校は誘致に成功し、実際に存在するが、大泉学園の本体は誘致できなかった

*2:銀河鉄道とかプリキュア

*3:全92駅中7位

*4:ただし、実際には秋葉大権現とは無関係らしい